2009年07月04日

電気泳動方式

電子ペーパーの代表的な表示技術に電気泳動方式がある。この方式は米E Ink社が開発したもので、白色と黒色の粒子を流体を収めたマイクロカプセル中で電界によって移動させることで白と黒の表示を行なうものである。粒子移動型などとも呼ばれる。同様の技術は米SiPix Imaging社も開発しており、類似の技術では、流体ではなく空中で白色と黒色の粒子を電界によって移動させるブリヂストン社の方式もある[出典 1]。
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直径40μm程度の透明なマイクロカプセル中に正と負に帯電した白色と黒色の顔料粒子がオイルと共に収められ、カプセルは1層のみ薄く2枚の狭い電極板の間に隙間なく並べられる。表示面となる電極の片側はITOのような透明電極で作られ、反対側の電極は必要な表示解像度の大きさの微小な矩形電極で構成される。

外部の制御回路からの電圧印加によって2枚の電極間に電界が生じ、正と負に帯電した白色と黒色の顔料粒子がオイル中を泳動して、いずれか電圧によって選ばれた色の顔料粒子がカプセルの表示面側に集まることで、白黒の表示を行い、微小な電極によって作られる各画素ごとに白黒の表示が選ばれる。電圧を切っても顔料粒子は簡単には動かないため、印刷物のように読み取ることが出来る[出典 1]。

2009年06月14日

菜種油(なたねゆ・なたねあぶら)とは

菜種油(なたねゆ・なたねあぶら)とは、主にセイヨウアブラナから採取した植物油脂の一種。食用及び食品加工用、かつては光源燃料としても利用された。 キャノーラ油(Canola)は、菜種油の内、品種改良によってエルカ酸とグルコシノレートを含まないキャノーラ品種から採油されたものである。したがって、菜種油とキャノーラ油は、厳密にいえば同じものではない。

精製した菜種油はクセがなくあっさりしているので、日本をはじめ東アジアで古来より食用とされてきた。一方、アメリカでは食用が禁止され、認可されたのはキャノーラが流通しだした1985年である。

これは、従来品種から採取した菜種油には、過剰摂取により心臓障害を誘引するおそれがある不飽和脂肪酸(エルカ酸、またはエルシン酸)残基や、甲状腺障害に関与する含硫化合物の一種であるイソチオシアネート前駆体のグルコシノレートが多く含まれているためである。 特に、エルカ酸は全脂肪酸残基の40%以上に達し、油を多用するアメリカ型食生活ではリスクが高かった。
ライフセービング
信用取引
バドミントン
インフルエンザ脳症
ダーツ
ビタミン
近代オリンピック
カロリー
ホームシアター
脳神経外科
ご当地群馬情報
ボクサー情報
日本の正月
ご当地鹿児島
花木・庭木の気持ち
ご当地山梨
フルーツ王国
ご当地静岡
番茶百科
日サロ体験

そこで、主要生産国であるカナダで品種改良された結果、エルカ酸を含まずグルコシノレート含量も削減された(この特性は“double low”と呼ばれる)「キャノーラ品種」が開発された。 キャノーラにおける不飽和脂肪酸は、オレイン酸が50%と最も多く、以下リノール酸25?30%、α-リノレン酸6?9%であり、ステアリン酸、ステアロオレイン酸、エルカ酸を合計1%程度含む。

さらに伝統的な交配育種法による品質改良により、オレイン酸比率が80%を越える高オレイン酸種も開発されている。最近は、遺伝子組換え技術を利用したラウンドアップレディー(ラウンドアップ耐性)品種が主力であり、カナダを中心に生産され、遺伝子組換え食品として、大量に日本に輸出されている。

菜種油やその他の植物油脂から作られるサラダ油は、ドレッシングなどの食品の原材料に使われる。 白絞油は油揚げの揚げ油としてよく使われる他、天ぷらや炒め物用の油として使われる。 鹿児島県の一部では原料菜種を焙煎して搾油し、植物灰で処理したものを「赤湯(あかゆ)」と称し、食用に用いている。精製していないため、独特の青臭さと焙煎臭が強いものである。

かつては非精製油は行灯などの光源燃料としても使用された。

日本でも食品加工廃油をアルカリ処理し燃料油とする試みがあり、使い古した菜種油をバスの燃料にするなどして利用されている。これはバイオディーゼルと呼ばれ、リサイクルとして進められてきた。一方、ヨーロッパ諸国では、小麦の転作作物としてバイオ燃料用菜種が栽培され、安定した品質のバージン油が用いられている。近年のバイオ燃料ブームのため、トウモロコシ同様に食用油相場の影響を被っている。

菜種の生産量は年々増加していて、4千6百万トンを超え、主要生産国は中国、カナダ、インド、ドイツ、フランスなど(FAOの2005年の資料から)。 国内の栽培面積では、北海道が最大で、特に滝川市が多い。

名称について [編集]
製油会社は、「キャノーラ油」「カノーラ油」と称して販売している。「キャノーラ」は、カナダカノーラ会議が採用した「カナダのオイル」を意味するブランドであったが、現在は北米はもちろんヨーロッパでもキャノーラオイルが一般的に用いられている。 また、セイヨウアブラナの英語名はRapeであり、菜種油はRapeseed oilと呼ばれる。しかし、上記のように菜種油にはエルカ酸及びグルコシノレートが含まれていたため、食用油としてのイメージを一新するためにこのようなブランド名が付けられた。

2009年05月29日

上杉氏・佐竹氏の処分

10月に毛利氏の処分が決定し、11月には島津氏が謝罪したことにより、西軍に加担した大大名で処分が未決となっているのは、関ヶ原の導火線となった上杉征伐の張本人である上杉景勝と、態度を曖昧のままにしていた佐竹義宣の二人となった。

景勝は最上義光・伊達政宗の連合軍と出羽長谷堂城を中心に激戦を繰り広げたが、9月30日に西軍敗走の一報が伝えられると直ちに撤退した。勢いづいた最上義光は庄内へ攻撃を開始、伊達政宗も10月6日より桑折への侵攻を開始している。景勝は防戦する一方で家中に今後の対応を協議した。この中で直江兼続や甘糟景継、竹俣利綱らは徳川との徹底抗戦を主張するが、本庄繁長や千坂景親らは和睦を主張している。最終的に10月23日に和睦の方針が決定され、主君の意を汲んだ兼続は主戦派の「江戸へ南下するべし」との意見を退けた。交渉には本多正信と親交の深い千坂景親と和睦を主張した本庄繁長が任命され、以後正信を始め東軍の対上杉防衛軍総大将であった結城秀康、本多忠勝、榊原康政らに取り成しを依頼した。彼らの取り成しにより当初領地没収を予定していた家康も、次第に態度を軟化させていった。

年が明けた1601年(慶長6年)7月1日、千坂・本庄両名の報告などから和睦が可能となったことを受け景勝は兼続と共に上洛し、秀頼への謁見後8月8日結城秀康に伴われて伏見城の家康を訪問し謝罪した。上杉氏への処分は一ヶ月ほど経った8月16日に言い渡され、陸奥会津120万石から75パーセント減の出羽米沢30万石へ減封となった。景勝はこの時「武命の衰運、今において驚くべきに非ず」とだけ述べ、11月28日に米沢へ移動したがこの処分に不服であった酒田城将・志田義秀は、接収に来た最上軍と一戦を交えたものの降伏している。
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一方佐竹義宣は、三成との親交から西軍への加担を決め、景勝と密約を結び上杉領内に入った徳川軍を挟撃する方針を採っていた。このため上杉征伐では動かず、与力大名である岩城貞隆、相馬義胤、多賀谷重経もこれに同調した。しかし佐竹家中では父である佐竹義重、弟で蘆名氏を継いだ蘆名義広、佐竹氏家臣筆頭である佐竹義久が東軍徳川方への加担を主張した。特に父・義重は、東軍への加担を強く主張し、これに抗し切れない義宣は、佐竹義久を中山道進軍中の徳川秀忠軍へ兵300と共に派遣する、曖昧な態度を取った。しかし家康はすでに佐竹氏の動向を疑っており、松平信一や水谷勝俊などを佐竹監視部隊として国境に配置。秀忠も義久ら派遣部隊に対して丁重に謝絶している。

西軍敗北後父・義重は直ちに家康に戦勝を祝賀する使者を送り、さらには上洛して家康に不戦を謝罪した。しかし義宣は居城である常陸水戸城を動かず、そのまま二年が経過した。上杉氏も島津氏も謝罪し、残るは佐竹氏のみとなったが、義宣はなおも動かなかった。しかし、義重の助言により1602年4月に上洛し、ようやく家康に謝罪した。しかし家康は義宣の観望について『寛政重修諸家譜』の中で「上杉景勝より憎むべき行為だ」として厳しく非難。死一等は許されたが常陸一国54万石は没収され出羽久保田に20万石格での減転封となった。また与力大名である岩城・相馬・蘆名・多賀谷の各大名も改易となった。義宣はわずかな家臣を連れて久保田へ移動したが、転封に反対して車斯忠らが一揆を起こしている。佐竹氏の石高が確定するのは、二代藩主・佐竹義隆の代になってからである。

2009年04月25日

アッシリア帝国滅亡後のアッシリア人

ニネヴェなど、アッシリアの主要な都市の幾つかはアッシリア帝国滅亡時に破壊された。ヘロドトスの時代にはそこに住む者はいなかったという。だが、アッシリア人自体はある日突然絶滅するわけも無く、その後も生き続けたし、アッシュール神に対する祭祀も継続されたと考えられる。アッシリア人自身が支配者として君臨することはその後二度となかったが、アッシュールやシャルマヌ、ニヌルタなど、アッシリア人が好んで名前に使った神の名を持つ人名がその後も役人などの名前として記録されているのである。アケメネス朝からアルサケス朝時代にかけて、アッシリア人の多くはアッカド語(アッシリア語)ではなくアラム語を使用するようになったと考えられる。その後もアッシリア人と思われる人名がサーサーン朝時代にまで登場する。

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だがこの生き残ったアッシリア人と、アッシリア人の末裔と主張するいわゆる現代アッシリア人の関係は必ずしも明白ではない。現代アッシリア人に限らず、中近東のキリスト教徒共同体は起源譚として古代オリエントの民族を持ち出す事が多い。少なくとも「民族」と言うものがある古代のある集団から真っ直ぐ繋がるというほど単純なものではないと思われる。

古代オリエント世界の古典文学の多くが後代に受け継がれず土に埋もれていく中、アッシリア人の歴史の多くも人々から忘れ去られたが、旧約聖書やギリシア人達の記録によって僅かに後世に伝えられた。楔形文字の解読によって再びアッシリア人が歴史に大きく取り上げられるようになるのは19世紀以降のことである。

2009年04月08日

ブルーグラス

ブルーグラス(Bluegrass music)は、アメリカのアパラチア南部に入植したスコッチ・アイリッシュ(現在の北アイルランド、アルスター地方にスコットランドから移住した人たち)の伝承音楽をベースにして1945年末、ビル・モンローのブルー・グラス・ボーイズにアール・スクラッグスが加わってから後に発展したアコースティック音楽のジャンル。

演奏にはギター、フラットマンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、5弦バンジョー、ドブロ(リゾネーター・ギター)、ウッドベースなどの楽器が主に使われる。

時代に応じたオリジナルを中心に、スコットランドやアイルランドの音楽を基にした伝承曲も多い。アップテンポの曲が多く、楽器には速弾きなどのアクロバティックなインプロヴァイズが求められ、「ハイロンサム」と呼ばれる孤高のブルース感を表現する唱法やハーモニーにも特徴がある。

1950年代には米国南部を中心としたカントリー市場に、1960年代はフォーク・リヴァイヴァルに認められて米国の都会やヨーロッパや日本のフォーク市場に、1970年代にはロックとの融合で野外音楽フェスティヴァルに迎えられ、80年代以降はアコースティック音楽の録音技術革新とともにジャズやニューエイジなどのより洗練されたアンサンブルに達した。

21世紀を迎えた現在では、チック・コリアやヨーヨー・マらも巻き込んでジャズやクラシックの世界でもブルーグラスの楽器技術やアンサンブルが認められ、ベラ・フレック(バンジョー)やクリス・シーリ(マンドリン)、マーク・オコナー(フィドル)やジェリー・ダグラス(ドブロ)など、数多くのアーティストを輩出している。

ジョブコー ダーポポ プライ オール ハンドグ フェア はずたか タフガ シミュレ 冬の花 ポテト トゥー ハンカ ハシェマ やまふじ インレット ゆずの里 カガシ マンシェ ナサラ ヌクレ 検索モミ カラカス スピー オリジナ 水菜 ビジョン ズーム マウンテ ドレス トカマク ムギセ ベニバ グラソース キング コード オパール オーセン クール ランボ たてじょう ブラゾーン おおみ リンス バロキ スノー ドウェー プレス プロペ いぬまき


2009年03月25日

八戸臨海鉄道

八戸臨海鉄道株式会社(はちのへりんかいてつどう)は、日本貨物鉄道(JR貨物)・青森県・八戸市などが出資する、貨物輸送を目的とした第三セクター方式の鉄道事業者(臨海鉄道)である。本社は青森県の八戸市にある。

沿革 [編集]
1970年(昭和45年)7月30日 - 会社設立。
1970年(昭和45年)12月1日 - 鉄道線開業。
2002年(平成14年)12月1日 - 青い森鉄道の保線・保守業務の受託を開始。

事業所 [編集]
機関区 - 運転・検修・八戸貨物駅構内入換作業
八戸貨物駅 - JR貨物八戸貨物駅に隣接。
北沼駅 - 三菱製紙専用線接続駅
八戸貨物営業所 - 八戸貨物駅でのJR貨物業務受託。
東青森営業所 - 東青森駅でのJR貨物業務受託。
弘前営業所 - 弘前駅でのJR貨物業務受託。
メンテナンスセンター - 臨海線と青い森鉄道線の保線・保守を担当。

路線 [編集]
八戸臨海鉄道線 八戸貨物駅 - 北沼駅間 8.5km

車両
ディーゼル機関車
DD56形 - 国鉄DD13形の同形車
貨車
ホキ800形

子会社 [編集]
臨海サービス株式会社

バゲット クス ポイント ヌガー ソリッド 一石二鳥 ミックス ランウエー アヨーチン ブルペン ステーク ドンファン フィル 検索クワ ギガス おじまじ タンポン カレンシー ぼうふう トリグ シャーマン シシャパ キトサン タウリン フィー リーキ シシカバブ バーガー モダンアート セントラ ヒンドゥー フレッ サイゴン 王様検索 フルネュ ナロー ひみつり オーバ カーフェリ サーベイ レジェンド サー油 マイタ かぶらや デミタ ラジエ スター ダンサー テンキー イニング

2009年03月09日

ル・コルビュジエ

ル・コルビュジエ(Le Corbusier、1887年10月6日 - 1965年8月27日)はスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ(Charles-Edouard Jeanneret-Gris)。フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠と呼ばれる(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもある)。

スイスのラ・ショー=ド=フォンに時計職人の父エデゥアールとピアノ教師の母マリーの次男として生まれた。家業を継ぐために時計職人を養成する地元の装飾美術学校に学んだのみで、大学教育を受けていない。
じんのおび トップライト テドラル なかよし ナベラル モルグ ベニデュ ムード フォワグ ビアガ 芽キャベツ セーラー ローレライ ビーフ シャッター トリノ むぐらふ ノッポ リップ チェン デコレータ サカユ ききょう キウイ デッド ハイウェイ ブロック シリーズ フィクシ ミレニアム リチェ リスチン かくぐう ラウィ フワン フラグ サーチトゥ ニック スポット レーベル 迷い道 カエサ タピオカ リトライ オブソ ソフトテニ ナンス カシミ プルーン おびひろ

美術学校在学中の1907年にコルビュジェの才能を見いだした校長のシャルル・レプラトゥニエの勧めで建築家のルネ・シャパラと共に最初の住宅の設計を手がけている。1908年にパリへ行き、鉄筋コンクリート建築の先駆者であるオーギュスト・ペレの事務所に、1910年にはドイツ工作連盟の中心人物であったペーター・ベーレンスの事務所に籍を置き、短期間ではあったが実地で建築を学んだ。

1911年から半年かけてベルリンから東欧、トルコ、ギリシャ、イタリアを巡る東方への旅へ出た。ラ・ショー=ド=フォンの美術学校で教鞭を執った後、1914年に鉄筋コンクリートによる住宅建設方法であるドミノシステムを発表。1917年にパリへ戻り、1920年にダダの詩人のポール・デルメ、ピュリスムの画家のアメデ・オザンファンと共に雑誌『エスプリ・ヌーヴォー』(L'esprit Nouveau)を創刊。この頃からル・コルビュジエというペンネームを用いた。

1922年に従兄弟のピエール・ジャンヌレとともに事務所を構えた。1923年に『エスプリ・ヌーヴォー』に掲載された自らの記事をまとめた著作『建築をめざして』を発表し、世界中の建築家から注目を集めた。この著作の中の「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という言葉は彼の建築思想の代表的なものとしてよく引用される。1925年のパリ万国博覧会(いわゆるアールデコ博)では装飾のないモダニズム建築の『エスプリ・ヌーヴォー館』を設計。アール・デコ装飾の展示館が並ぶ中、異彩を放った。また同年、パリ市街を超高層ビルで建て替える都市改造案を発表した。低層過密な都市よりも、超高層ビルを建て、周囲に緑地を作ったほうが合理的であるとするもので、パリでは実現しなかったが、これ以降の各国の都市計画に大きな影響を与えるようになった(輝く都市)。1927年、ミース・ファン・デル・ローエが中心となり、ヴァイセンホーフで開かれたドイツ工作連盟主催の住宅展に参加し、2棟の住宅を設計した。

1928年以降に開催されたCIAM(Congrès International d'Architecture Moderne、シアム、近代建築国際会議)では、ヴァルター・グロピウス、ミース・ファン・デル・ローエらとともに参加し、中心メンバーとして活躍した。CIAMは国際的な近代建築運動の拠点になった。1931年竣工のサヴォア邸はル・コルビュジエの主張する近代建築の五原則を典型的に示し、代表作として知られる。

第二次世界大戦後、ドミノシステムに基づく集合住宅「マルセイユのユニテ・ダビタシオン」(L'unité d'habitation de Marseille)を建設(1947年-1952年)。ユニテはかつて主張した「輝く都市」の実践であった。また1951年からはインドのチャンディーガルの建築顧問として都市計画に関わった。

後期の代表作『ロンシャンの教会堂』(1955年竣工)はカニの甲羅を形どったとされる独特な形態で、鉄筋コンクリートで可能になった自由な造形を示している。ここでは従来主張していた機能性・合理性とは異なった表現に達した。

1965年、南フランスのカプ・マルタンで海水浴中に心臓発作で死去。78歳。

2009年02月20日

アフターウォーの勢力

アフターウォーの勢力では、テレビアニメ『機動新世紀ガンダムX』をはじめとするアフターウォーが舞台の作品に登場した、架空の組織を列挙する。
チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア

宇宙革命軍
月の裏側に位置するスペースコロニー群「クラウド9」を拠点とする軍事政権。地球統合連邦政府(旧連邦および新連邦)と激しく対立している。

クラウド9は『機動戦士ガンダム』におけるジオン公国(サイド3)と同じL2に位置している。

第7次宇宙戦争
アフターウォー以前、コロニーの独立を求める勢力と地球統合連邦政府(旧連邦)との間ではしばしば武力衝突が発生していた。その中でもザイデル・ラッソ総統率いる勢力は宇宙革命軍を称してコロニー群・クラウド9を根拠地に旧連邦に独立戦争を挑み、第7次宇宙戦争と呼ばれる史上最大かつ最悪の戦禍を巻き起こした。

宇宙革命軍は意見を違える他のコロニーに毒ガス攻撃を仕掛けて住民を虐殺し、さらに戦争が8ヶ月に及ぶ膠着状態に陥った際に、これらのコロニーを大質量兵器に見立てて地球へ落下させるコロニー落としを準備することで連邦側に無条件降伏を迫った。しかし連邦側は決戦兵器・モビルスーツ「ガンダム」を投入して徹底抗戦の構えを見せた。そしてこのうち一機がコロニーを破壊したことから宇宙革命軍はコロニー落としを強行、40基を超えるコロニーが地球へと落下し壊滅的打撃を与えることとなった。両軍の戦闘は泥沼化し、双方とも戦力の大半を失い勝敗の付かないまま、なし崩し的に戦争は終結する。

クラウド9自体は無傷だったものの、国力が脆弱な宇宙革命軍は戦力再建に手を取られ地球侵攻は不可能なまま15年の歳月が流れていった。しかし宇宙革命軍は地球侵攻を諦めることなく、工作員を密かに派遣するなどして地球情勢を探らせることを怠らなかった。

アフター・ウォー15年の時点で宇宙革命軍統制下の人口は1200万人らしい。(第34話「月が見えた!」より)

ニュータイプ主義
ザイデル総統が思想統制に利用したのは「ニュータイプ」と呼ばれる存在であった。特異な能力を持ったニュータイプと呼ばれる人々を「人類の革新」と位置づけ、宇宙に住まう人々(スペースノイド)はその最初の一歩であるとしたのである。ザイデルの提唱したニュータイプ主義では宇宙に住む全ての人々は実は潜在的なニュータイプであるとされ、ニュータイプと呼ばれる能力者はその潜在した力が早い時期に発露した存在とされた。

しかし実のところ、ザイデル自身はニュータイプやその能力そのものには関心が無く、むしろ疎ましくさえ思っていた。彼にとってニュータイプはあくまで思想統制の道具であり、ニュータイプ能力を失ったエースパイロットのランスロー・ダーウェルを重用したのもそのために過ぎなかった。ザイデルが必要としたのは自らの思想統制や主義に沿うニュータイプだけであり、ニュータイプ能力を有しているティファ・アディールが、宇宙ではなく地球の生まれであり、ザイデルの意思にも従わなかったため、彼女を認めようとはしなかった。

サテリコンとの対立
一方、宇宙革命軍の攻撃によってコロニーを追われた人々は宇宙難民となり、その中から反宇宙革命軍組織「サテリコン」が現れた。サテリコンは放棄された小惑星資源帯に根拠地を置き、モビルスーツ部隊や宇宙戦艦を擁して宇宙革命軍に対する妨害工作やテロ活動などを行っていた。アフターウォー15年、サテリコンはその根拠地を宇宙革命軍に察知されてしまう。ランスロー率いる教導部隊の猛攻撃を受けて根拠地は陥落、さらにザイデル総統の命令で荷粒子反応弾という強力な爆弾で皆殺しにされてしまう。

サテリコンを全滅させたザイデル総統はダリア作戦の決行を決定。先の大戦で建造途中だったコロニーレーザーを完成させ、これを地球に撃ち込んだ上で地球侵攻を行うというものであった。しかし決行直前にガンダムダブルエックスを加えたサテリコン残党によってコロニーレーザーを破壊されてしまう。

第八次宇宙戦争
予期せぬ妨害で出鼻をくじかれたザイデルは、旧連邦が最初のニュータイプを封じた月面の施設「D.O.M.E.」に接触することで勝利を得られると考え、同様にD.O.M.E.を目指す新連邦軍と交戦状態となる。ザイデルは新連邦のブラッドマン司令やフリーデンクルーと共にD.O.M.E.との接触に成功したものの、その答えはおよそ期待していたものとは違っていた。なおもブラッドマンと戦おうとするザイデルであったが、ブラッドマンを裏切ったフロスト兄弟に両者まとめて暗殺されてしまう。

主戦派の首脳を失ったことで、宇宙革命軍はようやく新連邦との和平交渉に臨むことが出来たのである。

新連邦
地球統合連邦政府(旧連邦)の残勢力を中心にアフターウォー15年に組織された政府。

旧連邦時代
アフターウォー以前の地球は地球統合連邦政府によって統治されていた(劇中では「地球連邦」と略称されている)。当時はすでに宇宙進出が行われスペースコロニーなどが建設されていたが、宇宙居住区を管理下に置こうとする連邦政府と宇宙居住区の独立を唱える宇宙移民とが対立しており、これらは度々宇宙戦争へと発展していた。そしてスペースコロニーの独立を目指す宇宙革命軍との紛争が地球圏全土を巻込んだ第7次宇宙戦争へと発展した。高い軍事技術力をもつ一方で国力に劣る宇宙革命軍は短期決戦を狙い、ライラック作戦などをもって地球を攻撃しようとするが連邦軍の抵抗の前に目論みは外れる。結果、戦争は膠着状態に陥ったまま8ヶ月が過ぎた。戦争長期化による自軍の不利を悟った宇宙革命軍はコロニー落としを切札として連邦政府に無条件降伏を迫った。これに対し連邦政府はかねてから研究していたニュータイプとニュータイプ専用に開発していたモビルスーツ『ガンダム』を投入し徹底抗戦の構えをとった。そして地球に落下させるため待機していたコロニーの一基を連邦軍のニュータイプパイロット、ジャミル・ニートの駆るガンダムXが撃墜したのをきっかけに、宇宙革命軍はコロニー落としを強行した。戦局は泥沼化し、両軍ともに戦闘継続が不可能になるまでの打撃を受け、勝敗がつかぬまま自然に終戦となった。そしてコロニー落としによって地球は壊滅状態となり、宇宙革命軍統制下にあったクラウド9以外のコロニーも全て失われた。これにより戦争以前は100億人を誇った地球圏の人口のほとんどが失われ、連邦政府は事実上崩壊した。戦後15年経っても地球全土の人口は9800万人である。

アフターウォー時代では地球統合連邦政府は旧連邦と呼称される事が多い。旧連邦の具体的な組織の成り立ちや当時の年号については不明である。政府再建委員の発言から旧連邦の中枢は南米大陸にあったことが窺え、特にコロニー落としの標的となった南米大陸ならびに近隣の北米大陸は戦後も復興が遅れたようである。

『機動戦士ガンダム』の地球連邦政府にきわめて近い組織名称を持ち、本拠地の位置も同じ南米大陸である。

政府再建委員会
第7次宇宙戦争により地球統合連邦政府は崩壊し地球は無政府状態となっていたが、旧連邦の政府関係者、軍上層部、産業界のリーダー達は再び地球圏を統一するため政府再建委員会を組織し、政府再建に向けて活動を始めていた。彼等の大半は現実主義者であり、ほとんどのメンバーは戦後は確保が困難となったニュータイプやその専用機としての性格が強いガンダムなどにも大きな関心を見せなかった。政府再建委員会メンバー達は新連邦政府の発足など着実に成果を積み上げ、新連邦政府首脳となる。しかし多くのメンバー達が宇宙革命軍との早期全面再戦に難色を示したため、これを疎ましく感じたフロスト兄弟により、宇宙革命軍のテロを装い、抹殺されてしまった。政府再建委員会のトップで、新連邦成立後は新連邦軍総司令官となっていたフィクス・ブラッドマンは、早期での全面再戦を主張していたため、これを黙認した。

新連邦政府樹立
A.W.(アフターウォー)15年。政府再建委員会は新連邦政府の樹立を宣言、本拠地を置いていた欧州を皮切りに急速に勢力を拡大させ北米の一部を除く地球全土を短期間でほぼ統一した。更に新連邦政府は宇宙革命軍の健在を公表。先の大戦で地球を壊滅させ、今尚、地球侵攻を図る革命軍への恐怖を意識させることで地球の結束を促した。そして地球圏の覇権を握る鍵とされるD.O.M.E.をめぐって第7次宇宙戦争以来対立していた宇宙革命軍との間に全面戦争を再開するが、主戦派であった両軍のトップが戦死し、両軍の目的だったD.O.M.E.も破壊されたことにより停戦が成立。後に和平交渉の場が設けられることとなった。

南アジア独立小国家
第7次宇宙戦争によって連邦が崩壊後に興った小国群の一つ。エスタルド人民共和国とガスタール民主共和国はアフターウォー以前から続く民族紛争により対立していたが、新連邦の小国家制圧に対抗する為、隣国ノーザンベルとの3国による同盟軍を結成した。しかし、エスタルドとガスタールの間を取り持っていたノーザンベルが新連邦の攻撃により降伏し、さらにガスタールが新連邦と手を組んだことによりエスタルドは孤立無援となり、降伏せざるを得なくなった。

エスタルド人民共和国
南アジアの独立小国家の一つ。AW15年での国家主席はウィリス・アラミス。隣国ガスタールとは民族紛争が続いていたが、新連邦に対抗する為同盟を結んだ。しかし、ノーザンベルの降伏、ガスタールの寝返りなどにより窮地に立たされ、国内でも徹底抗戦を主張する強行派と降伏を主張する穏健派が対立していた。

ガスタール民主共和国
南アジアの独立小国家の一つ。新連邦に対抗する為、民族紛争の続いていたエスタルドと同盟を結ぶが、ノーザンベルの降伏により、同盟を破り新連邦と手を組んだ。

ノーザンベル連合王国
南アジアの独立小国家の一つ。エスタルドとガスタールの仲立ち役を勤めていたが、新連邦により首都を陥落させられ降伏した。

バルチャー
戦後において、廃棄された軍事施設や兵器の残骸を漁って売りさばく者達のことを禿鷹(ハゲタカ)に例え、バルチャーと呼ばれるようになった。

しかし、バルチャーにも種類は多いようで、あくまで廃棄された物資を回収しての売買や、生活物資の行商で生業をする者(ジャミル・ニート等)もいるが、破壊強奪等、無法者集団と変わらない者が大半の為、一般人からは忌み嫌われる存在であった。

大抵のバルチャーは戦艦やMS等で武装していることが多くまた、用心棒や傭兵等を雇っていたりもする。

さらに、必要に応じてバルチャー毎に連帯や敵対等もしている。その際の遣り取りには主に、バルチャーサインという信号弾を使用している。

また、海上で生業をするバルチャーは、シーバルチャーまたは、オルクと呼ばれている(特に破壊強奪等の無法をする傾向があるものはオルクと呼ばれることが多い)。

劇中登場したバルチャー
機動新世紀ガンダムXの登場人物#バルチャーも参照。

ザコット一味
火炎放射器を装備したモビルスーツ部隊「炎の時計部隊」を率いるバルチャー。
フリーデン
アルプス級陸上戦艦フリーデンを母艦とするバルチャー。リーダーは旧連邦のモビルスーツパイロットジャミル・ニート。フリーデンの項目も参照。
マーカス一味
潜水艦ポリペイモスを母艦とするオルク。オルバにGビットの引き上げを依頼される。

その他
アルタネイティヴ社
北米の都市セントランジュ郊外にある軍事企業。旧連邦の技術士官フォン・アルタネイティヴが、放棄された旧連邦の軍事施設を接収して事業を始めたもので、その技術力や生産力の高さから一躍人気ブランドとなった。

サテリコン
宇宙で宇宙革命軍に対するレジスタンス活動をしていた組織。先の大戦で革命軍によって故郷のコロニーを破壊された宇宙難民達が結成した。小惑星を基地として使用し、戦力としては宇宙戦艦ヴァローナ1隻とGファルコン、革命軍から鹵獲したジェニスなどを所有していた。

ランスロー・ダーウェル率いるモビルスーツ部隊に攻撃されていたガンダムダブルエックスを救出し、修理すると共に負傷したガロード・ランにも手当てをするが、その後宇宙革命軍の本格的な侵攻により、組織は基地である小惑星もろとも消滅させられてしまった。

フォートセバーン
第7次宇宙戦争後に誕生した北米大陸北部の地方都市。雪と山脈に囲まれており、モビルスーツによる自衛団を有している。自ら都市を築き、市民からの高い支持を得ていた市長のノモア・ロングによって市政は安定していたが、その正体は宇宙革命軍のドーラット博士であり、地球住民に対する復讐のための準備が進められていた。(そもそもこの都市自体が宇宙革命軍の超巨大MAパトゥーリアの不時着地点に築かれたものであった。)ノモアによって人工ニュータイプのカリス・ノーティラスを生体部本として組み込まれたパトゥーリアは市街に無差別攻撃を行うが、駆けつけたフリーデンクルーにより撃退されている。

民族独立戦線
南アジアの反新連邦ゲリラ組織。エスタルドでフリーデンを一時的に離れていたロアビィ・ロイが世話になっていた女性ユリナ・サノハラもメンバーの一人だった。幹部達はロアビィを組織に引き込もうとするがロアビィの気持ちを察したユリナは反対した。新連邦のゲリラ狩りにあい、ユリナはじめその場に居合わせたメンバーは全員殺害されてしまった。

2009年02月04日

三好氏(みよしし)は信濃源氏で鎌倉時代の

三好氏(みよしし)は信濃源氏で鎌倉時代の阿波の守護小笠原氏の末裔。室町時代は阿波の守護代。戦国時代に阿波国をはじめ畿内一円に勢力を有する戦国大名となった。

本姓は源氏。家系は清和源氏の一家系 河内源氏傍系にあたる信濃源氏 小笠原氏の庶流。三好氏は信濃源氏の名門・小笠原氏の分流であるとされるが、現存する各系図に齟齬が大きいため仮冒とも見られる。阿波小笠原氏ともいう。信濃国から移り、阿波国三好郡を本拠にしたことから三好氏を称した。
サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

登場
鎌倉時代後期にはすでにその名が阿波国内で散見される。鎌倉時代に阿波守護であった小笠原氏の末裔。南北朝時代の初期は、南朝方として活動しており、北朝方の細川氏と対立していた時期もあった。しかし、南朝不利、そして細川氏が幕府内でも勢力を拡大し強大化するとそれに服した。

中衰
室町時代には智勇兼備の良将と謳われた三好之長が現れ、管領・細川氏に仕えた。細川氏の家督をめぐる内紛では阿波守護の細川氏の子で管領細川政元の養子となった細川澄元を支え、各地を転戦して武功を挙げ、畿内や四国に大きな影響力を持った。しかし之長は無念の死を遂げ、細川澄元もまた同じ道を歩んだ。

之長の死後、孫の三好元長が澄元の子で幼君の細川晴元を擁し、晴元を晴れて管領にするなど活躍し、細川氏家中における随一の勢力にまでなった。しかしこれを脅威と感じた細川晴元は1532年に法華宗の大檀那であった三好元長を憎む一向宗の力を借りるとともに木沢長政の讒言(ざんげん)、三好一族で元長の台頭を妬んだ元長の一族の三好政長らの讒言を入れて三好元長を堺の顕本寺に攻めて自害に追い込んだため三好氏は一時、衰退してしまう。

黄金時代
しかし元長の後を継いだ幼少の遺児三好長慶は父以上に剛胆で智略に優れた人物で、最初は晴元の忠実な家臣として仕えたが、河内国の守護代で畿内に強い勢力を誇った遊佐長教の息女を正室に迎え、自らも勢力を本国阿波国のみならず摂津国へ広げ力を蓄えると、弟の三好義賢(阿波)や十河一存(讃岐)、安宅冬康(淡路)らと協力して、木沢長政、三好政長らの父の仇の敵勢力を次々と破って、細川家中に父以上の勢力を築き上げたのである。

1549年、長慶は父の復讐に立ち上がり、岳父遊佐長教の援軍を得たうえで、細川高国の遺児細川氏綱を擁立し、晴元の忠実な家臣で晴元の勢力を軍事面で支えていた三好政長を摂津国榎並に破った(江口の戦い)。晴元はその長慶の勢いを恐れ大津に逃亡し、晴元政権は崩壊した。その結果、長慶は戦国大名として名乗りを上げたのである。さらに長慶は将軍・足利義輝と戦ってこれを近江に追い、畿内(摂津、河内、大和、丹波、山城、和泉)や四国(阿波、讃岐、淡路)合わせて9ヶ国と播磨、伊予、土佐の一部を支配する大大名にまで成長した。

そして、上洛し、都にあって天下に号令したことから、戦国時代初の天下人といわれ、独自政権を模索したが、旧勢力の抵抗も大きく、長慶は将軍義輝と戦うことをやめ、義輝を擁立して、足利義輝?細川氏綱?三好長慶という体制に移行した。とはいえ、実権は長慶が握り、義輝も氏綱も傀儡に過ぎなかった。この頃が、三好氏の黄金時代であった。

三好長慶の主な支配した要衝

河内国飯盛山城(四條畷市)
京都(京都市)
摂津国 芥川城(高槻市)
摂津国 越水城(西宮市)
摂津国 池田城(池田市)
摂津国 伊丹城(伊丹市)
河内国 若江城(東大阪市)
河内国 高屋城(羽曳野市)
河内国 信貴山城(八尾市)
大和国 多聞城(奈良市)
丹波国 八上城(篠山市)
淡路国 洲本城(洲本市)
和泉国 岸和田城(岸和田市)
讃岐国 十河城(高松市)
讃岐国 虎丸城(東かがわ市)
阿波国 勝瑞城(藍住町)
阿波国 白地城(三好市)
三好氏の主な家臣

一族:三好義賢、三好長治、三好康長、三好康俊、三好政康、十河一存、十河存保、野口冬長、安宅冬康、安宅清康、芥川孫十郎など
姻族:遊佐長教、遊佐信教、松永久秀、松永久通、赤沢宗伝など
家臣:
摂津・播磨:池田長正、伊丹親興、有馬重頼、別所安治、岩成友通、茨木重朝、三宅国村、三宅村良、多田春正、塩川長満、塩川国満、塩川政年、能勢頼幸、能勢頼道
讃岐:香西元定、香西佳清、香川之景、観音寺景全、羽床資載、寒川元政、寒川元隣、安富盛定、安富元綱、奈良元信、奈良元政、長尾高親、中村氏宗、中村宗貞、六車朝満、牟礼光茂、神内清定、植田安信、財田常久、三谷景久、三谷茂長、由良兼光、滝宮安資、池内孝晴、飯尾国盛、前田宗清、太平国祐など
阿波:一宮成助、篠原長房、新開道善、小笠原長政、小笠原長定、海部友光、大西覚養、伊沢頼政、伊沢頼俊、東条実光、伊沢綱俊、矢野国村、森元村、鎌田光久、鎌田光康、土肥康信、清原乗真、川島惟忠、横田宗昭、塩田政幸、三橋宗忠、堀江国正、天羽久利、七条兼仲
淡路:船越景直

隆盛と転落
長慶は連歌を愛好し、禅を好み、源氏物語などの古典に親しむ風雅の士でもあり、キリシタンに対しても寛容な対応を示すなど、仏教(宗派に関係なく)、神道、キリスト教など幅広い宗教を認めた。そのため、仏教内部の対立(法華宗と一向宗)は沈静化した。また有能な弟たちを各所に配置し、大きくなった勢力を統治した。応仁の乱以降の長い戦乱で荒廃した都を復興し、堺の町を一大貿易港として整備するなど精力的に活動した。

しかし、旧勢力の抵抗は止むことなく、河内・紀伊の守護で三管領のひとつ畠山氏の畠山高政、南近江の半国守護で細川晴元の従兄弟の六角義賢らは反三好の兵を起こすなどした。それらとの戦いのなか、久米田の戦い(現在の岸和田市)で弟の三好義賢を失い、嫡男三好義興や自身の弟たち(十河一存、安宅冬康)にも先立たれ、自身も1564年に41歳で死去してしまった。長慶の死後は一族で養子・三好義継が後を継いだが、幼少で実権は家老であった松永久秀や三好三人衆に牛耳られ、義継は彼らの傀儡でしかなかった。長慶やその弟たちの相次ぐ死と、久秀や三人衆が主導権をめぐって争った結果、三好氏は著しく衰退してしまう。

滅亡への道
本国阿波より、14代将軍・足利義栄を擁立したが、1568年、織田信長が15代将軍・足利義昭を奉じて入京してきたときには、もはや三好氏には織田氏に対抗できるような力は無く、決戦を挑むも一蹴され、あるものは本国阿波へ逃れ、あるものは信長の配下となって存続するしかなかった。後に、将軍・義昭と信長が対立し、将軍・義昭によって信長包囲網が敷かれると、義継や三人衆は義昭について信長と対立する。しかし、織田軍の強大な軍事力の前に対抗できるはずもなく、1573年、信長の家臣・佐久間信盛率いる織田軍に攻められた義継は自殺して宗家が滅ぶ。だが、四国阿波には三好義賢の後を継いだ三好長治が実弟の十河存保とともに依然として四国東部に覇を唱えていた。ところが、長治が忠臣であった篠原長房を讒言を信じて殺害してしまうと、不安を抱いた家臣団が三好氏から離反してしまう。その後長治は土佐の長宗我部元親に通じた家臣によって殺害される。これによって戦国大名三好氏は滅亡したといっても過言ではない。

その後
しかし三好氏の生き残りである三好康長は信長の家臣となり、河内の一部に所領を与えられている。また、同じく生き残りである十河存保も豊臣秀吉に仕えて讃岐に所領を与えられ、家名の存続を図った。前者は本能寺の変後の消息は不明だが、後者の存保は1586年、戸次川の戦いで戦死してしまい、改易とされてしまう。

そして1615年、存保の遺児・十河存英や三好三人衆唯一の生き残り・三好政康が大坂夏の陣で戦死し、復活の機会は失われた。ただし、三好政勝が徳川氏に仕えて生き残り、その他にも、大名家に仕えて残ったものはあった。

なお、本流である三好義継の嫡男義兼、次男義茂の兄弟は讃岐国伊吹島に逃れ、ここに土着した。生駒氏の讃岐統治時代、義兼の孫義浄は生駒氏より政所のお墨付きを授かり、以後代々作右衛門を名乗ったという。伊吹島の伊吹八幡神社には今も80騎まで撃ち減らされた義兼主従が伊吹島に辿りつき、神宮に誓文を奉げている姿を描いた絵馬が残されている。

三好一族
三好之長
三好長秀
三好元長
三好長慶
三好義賢
十河一存
安宅冬康
安宅信康
十河存保
十河存之
十河千松丸
十河存英
三好義継
三好長治
三好義興
三好長逸(三好三人衆)
三好政康(三好三人衆)
岩成友通(三好三人衆)
三好康長
三好政長
三好長則
三好頼澄
三好英之 末裔といわれる昭和期の政治家

系譜
  長之
 ┏┻━━┳━━━━━━━━━━┓
之長  長尚         勝時
 ┣━━━┳━━━┳━━━┓  ┣━━━┓
長秀  長光  長則  元長 勝長   政長
 ┣━━━┓   ┃   ┃      ┣━━━┓
一秀  康長  長逸   ┃      政康  政勝
     ┃       ┣━━━┳━━━━━━┳━━━━━━┳━━━┓
     康俊      長慶  義賢     冬康     一存  冬長
             ┃   ┣━━━┓  ┣━━━┓  ┣━━━┓
            義興  長治  存保 信康  清康 義継  存之

2009年01月21日

賢者(けんじゃ)

賢者(けんじゃ)は、

一般的に賢い人のこと。賢人(けんじん)。反対は愚者。著名な思想家を指して使われることもある。
キリスト教新約聖書に登場する占星術の学者たち。東方の三賢者あるいは東方の三博士。マギ。
中世ヨーロッパの騎士道物語に脇役として頻繁に登場する智慧者、特殊能力者。また、これを下敷にしたファンタジー作品に登場するキャラクターのひとつ。

キリスト教で賢者はとくに『マタイによる福音書』(2:1-13)に登場する占星術の学者たちを指す。 英訳聖書では wise men、ラテン語訳聖書では magi (いずれも複数形)。 星を見てキリストの降誕を知り、東方から贈り物を持ってやってきた。 新共同訳では「占星術の学者たち」と訳しているが、博士、賢者などと訳すこともある。 福音書に人数は書いていないが、贈り物の数から伝統的に3人とされる。 「東方の三博士」あるいは「東方の三賢者」。
いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

旧約聖書でもエジプトのファラオの側近に賢者や呪術師、魔術師がおり(出エジプト記7:11)、モーゼの奇跡に対抗する。ここで賢者、呪術師、魔術師と異った言葉が使われているが、全員同じ術を使うので、区別されていないようである。 バビロンの王ネブカドネツァルは、占い師、祈祷師、まじない師、賢者に、自分の見た夢を説明させようとしている(ダニエル書2:2)。 『イザヤ書』には「ファラオの賢者、参議ら」という言葉が見える(19:11)。

聖書中に登場する賢者は、主に周辺の異教徒の国で宮廷に仕えていた知識人を指すようである。 参議、呪術師、魔術師などと並べられているが、その区別ははっきりしない。 ラテン語訳新約聖書に使われた magi は 魔術師 (英:magician)の語源。「マギ」の項を見よ。

中世ヨーロッパのキリスト教国の人々から、偉大な錬金術師にして賢者と認識されていた人物に、ラテン名ゲーベル(ジャービル・イブン=ハイヤーン)がいる。 彼はアッバース朝5代目カリフに使えた宮廷学者である。 非ユダヤ教が非キリスト教と変わっているところはあるものの、聖書中の賢者像と変わっていない。

騎士道物語中の賢者
騎士道物語のパロディとして17世紀にスペインの作家ミゲル・デ・セルバンテスが書いた『ドン・キホーテ』は、その二の巻に賢者を登場させている。

「騎士はいずれも、一人または二人の賢人を判で押したように持っていたもので」[1]

当時読まれていた騎士物語の多くは、主人公である騎士に付き添う「賢者」が登場するのが定番であったことが分かる。 セルバンテスはシーデ・ハメーテ・ペネンヘーリなる架空の人物を登場させ、主人公ドン・キホーテの伝記を記録させている。

セルバンテスが賢者として登場させたこの人物は、アラビアの歴史家という肩書きで紹介されている。 英語で Wise old man あるいは Philosopher と記される賢者像は、広範な学問知識を持つ者として捉えるのが適当であろう。 英語の Philosopher を「哲学者」と訳すのは、科学革命以降に学問知識が分科してからの呼び方である。

騎士道物語が書かれた背景に十字軍やレコンキスタがあることを思えば、当時に学問知識が先行していたイスラム世界(イスラム帝国)から、賢者たちがやって来るのは自然であったろう。 じっさい、中世ヨーロッパの人びとに、もっとも偉大な賢者として知られていたのは、ラテン名ゲペルというイスラムの宮廷学者であった。 ヨーロッパが錬金術の時代を経てイスラム科学に追い付き、追い越すのは17世紀の科学革命以降となる。 それまでは、信じがたい知識を持つものは恐れられる存在であった。

またたぶんキリスト教の立場からは、彼らは異教の魔術を使うものと考えていた。 アーサー王に召し抱えられたマーリンは、彼が持つ不思議な力から魔法使いと呼ばれている。古代ケルト人の祭司職であるドルイドの姿が投影しているかもしれない。

近代の作品における賢者
ファンタジーやゲームなどフィクションの作品においては定番の登場人物であり、主人公に助言を与える役割を与えられている。英語ではWise man、Wise Old Manなどと呼ばれる。

また、コンピューターRPGやTRPGなどのゲームにおける賢者は、(高レベルの)魔法の使い手としての役割を与えられていることが多い。こうしたヨーロッパ系ファンタジーを素材にした作品に登場する賢者のキャラクターは、中世の騎士道物語の伝統を踏襲していると見られる。